川崎フロンターレに所属している伊藤達哉選手。
小柄ながらキレのあるドリブルと、抜群のシュートセンスに特長のある選手。
高校を卒業前にドイツのハンブルガーSVへ移籍し、20歳の時にブンデスリーガ1部でデビューしました。
2025年にはJリーグのベストイレブンにも選出され、Jリーグを代表する「逆輸入のドリブラー」です。
そんな伊藤選手の経歴からプレースタイル、結婚についてご紹介します。
目次
伊藤達哉選手は結婚している?
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伊藤選手は25歳の時に、8年交際した方との結婚を発表されています。
当時はドイツの2部のクラブに所属していましたが、入籍は日本で済ませていたようです。
同紙は「日本で秘密の結婚」と題した記事で、
引用:ゲキサカ
特に入籍したことを報告していなかったのか、ドイツメディアは「秘密の結婚」と題した記事で結婚を報じていました。
8年ってめちゃくちゃ長いですよね。
17歳くらいの時から交際されていると考えると、高校の同級生もしくは幼馴染の方とご結婚されたのではないでしょうか。
伊藤選手は高校3年生の時にドイツに渡っているため、一時的に「日本とドイツの超遠距離恋愛」を経験されているのかもしれません。
現在わかっているのは、奥様の名前が「ほなみさん」ということだけです。
8年間交際している彼女のほなみさんとゴールインしたことを認めた。
引用:超ワールドサッカー!
入籍を発表したシーズンでは、ドイツの3部リーグで優勝。
個人としても18試合5ゴールを記録し、チームの2部へ昇格に大きく貢献しました。
伊藤達哉選手の経歴は?
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| 小学校 | ブルーファイターズサッカークラブ 柏レイソルU-12 |
| 中学校 | 柏レイソルU-15 |
| 高校 | 柏レイソルU-18 |
| 2015年〜2016年 | ハンブルガーSV U-19 |
| 2016年〜2017年 | ハンブルガーSV II |
| 2017年〜2019年 | ハンブルガーSV |
| 2019年〜2023年 | シント・トロイデン |
| 2022年〜2023年 | 1.FCマクデブルク |
| 2023年 | 1.FCマクデブルク |
| 2025年〜 | 川崎フロンターレ |
伊藤選手は東京都台東区出身で地元のクラブでサッカーを始め、小学校時代から主に柏レイソルの下部組織に所属していました。
ある大会をきっかけに、高校の卒業を待たずしてドイツへ渡った伊藤選手はハンブルガーSVの下部組織に入団します。
その後はドイツで順調にキャリアを積み、2025年に川崎フロンターレへ移籍し、Jリーグデビューを果たしました。
小柄ながら、スピードを活かしたドリブルで海外の選手を相手に経験を積んでおり、その実力は十分に海外でも通用することが証明されていますよね。
ドイツの1部リーグのブンデスリーガでも20試合のプレー経験のある伊藤選手。
2025年シーズンはJリーグのベストイレブンにも選ばれるほど、Jリーグの顔となる選手になりました。
そんな伊藤選手がなぜJリーグを次の挑戦の場として選んだのか、その背景には何があったのかを詳しく紹介しています。
小学校時代
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4歳の頃に日韓ワールドカップを見たことがきっかけでサッカーを始めた伊藤選手。
当時はドイツ代表のオリバーカーンに憧れて、次の日にはサッカースパイクとグローブを買ってもらったと語っていました。
初めて経験したポジションがゴールキーパーというのは意外ですよね。
当時から足が速く「鬼ごっこでは一番最後まで残るタイプ」と語っており、ドリブラーとしての素質は小学生の時から既にあったのかもしれません。
ブルーファイターズサッカークラブという東京都台東区で活動している地元のクラブでサッカーを始め、小学校4〜5年生の頃から柏レイソルの下部組織に入団しました。
かつては中盤センターで「パサーのポジションをやっていた」
柏レイソルの下部組織はパスサッカーをチームのスタイルとして持っており、当時伊藤選手はパサーをしていたそうで、ボランチやトップ下などゲームメーカー的なポジションでプレーしていたのではないでしょうか。
時にはゴールキーパーとして試合に出ることもあったようですよ。
中学・高校時代
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中学校時代は柏レイソルU-15に入団しました。
小学校時代はパサーからゴールキーパー、そしてスピードを活かしたプレーと、さまざまなポジションや役割を果たしていた伊藤選手ですが、柏レイソルU-15に昇格できるほどの実力が当時からあったのですね。
一つのポジションや役割だけでなく、マルチにプレーできる点が、U-15昇格につながる評価を得たのかもしれません!
高校は柏レイソルU-18に昇格します。
この頃からは伊藤選手の特長であるスピードを活かしたドリブルやプレーが開花していたのではないかと思います。
それを裏付けるエピソードが一つあります。
スピードのあった伊藤選手は、主戦場であった中盤のボランチ的なポジションからサイドハーフにポジションを変えてからサッカー観が変わったと言います。
サイドハーフになってからドリブルで抜けないとダメだと感じました。
チームのスタイルとしてパスが主体のポゼッションサッカーを志向していましたが、伊藤選手は「サイドハーフならドリブルで相手を抜いてこそ」と考えていたのでしょう。
それからというもの、チームの練習後にはチームメイトを捕まえて1対1のドリブル練習を毎日のようにやっていたようですよ。
コーチから「パスの練習もしろ」と怒られていたようですが、伊藤選手はドリブルだけの練習を続け技術を磨きました。
伊藤選手の転機となったのは「アル・アイン インターナショナルチャンピオンシップ」という、世界のユースチームが参加する世界大会に出場します。
柏レイソルU-18はその大会で準優勝を果たすと、伊藤選手は大会のMVPに選出されました。
この大会での活躍が世界へのアピールとなり、ドイツの名門ハンブルガーSVからオファーが届きました。
「海外でやりたい」とずっと思っていました。
引用:Alpen Online
高校時代から海外志向が強く、海外へ渡った選手たちのインタビューや影響を受けて、若いうちから海外でプレーしたいという気持ちが高まっていました。
そんなタイミングでハンブルガーSVからオファーがあり、伊藤選手は即決でドイツ行きを決断します。
そして高校3年生で18歳を迎えるタイミングで、ハンブルガーSVへの移籍が発表されたのです。
また、伊藤選手が通っていた日本体育大学柏高等学校も特例処置で早期の卒業処置を行うなど、伊藤選手をサポートします。
ちょっと無理なお願いのようにも感じますが、それだけ伊藤選手に対して大きな期待を寄せていたと言うことになりますよね!
移籍当初はハンブルガーSVのU-19に所属し、まずはフィジカル面の強化に努めていました。
伊藤選手は他の選手よりも一回り以上小柄であったと思うので、より一層フィジカル面の強化は必要だったのかもしれません。
ハンブルガーSV
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移籍の翌シーズンからはハンブルガーSVのセカンドチームにあたるハンブルガーSV II(U-23)に所属します。
しかし、膝の怪我を負ったこともあり、移籍後は8ヶ月ほど離脱することになりますが、その間にドイツ語をある程度習得。
復帰後のチームメイトとのコミュニケーションにはあまり悩まなかったと語っていました。
プレーをする上でコミュニケーションは何よりも大切だと思うので、その時間は練習時間を積むよりも重要な時間だったのかもしれません。
その後はレギュラーに定着し、33試合に出場し2ゴールを記録しました。
かなりすごい成績ですよね。
負傷したことでプレーできない時間が長かったですが、コミュニケーション面で苦労しなかったことが功を奏し、十分な出場時間を確保して結果を残すことができましたのではないかと思います。
また、加入当初からハンブルガーSVには酒井高徳選手が所属しており、私生活などをサポートしてくれたおかげで、スムーズにプレーできたと語っていました。
セカンドチームで活躍したことでトップチームの練習にも参加し、そして同シーズンのレヴァークーゼン戦でブンデスリーガデビューを果たします。
当時20歳の伊藤選手でしたが、若くしてブンデスリーガデビューをしているんですよね。
Jリーグを経由せずに直接海外に渡ったことで、あまり国内では注目されていない印象でしたが、かなりすごいことです。
続くヴェルダー・ブレーメンでは左サイドで先発出場し、得意のドリブルで仕掛けるなど、全く物怖じしない姿勢で何度もドリブルを仕掛けていましたね。
シーズン終盤のシャルケ戦ではスタメンフル出場を果たすなど、チームの主力選手へと成長し、その試合は途中交代となりましたが、その際には観客からスタンディングオベーションが送られました。
明らかに他の選手よりも体格で劣る中、キレのあるドリブルがかえって目立ち、観客の視線を集める存在となっていたのかもしれませんね!
伊藤選手はブンデスリーガ初挑戦ながら20試合に出場し、多くの経験を積むことに成功しますが、チームは2部降格という苦い結末を迎えることになりました。
翌シーズンも伊藤選手は2部の舞台でハンブルガーSVに所属しますが、監督交代により大きく出場機会を失うことなり、リーグ戦は14試合の出場にとどまります。
もし前監督のもとで出場機会を増やせていたら、さらに大きく成長できていた可能性もあっただけに、伊藤選手にとって非常に悔しいシーズンとなりました。
「この監督のもとなら成長できる」と感じていたであろう伊藤選手にとって、ハンブルガーSVでの監督交代はキャリアの大きな分岐点となったのかもしれません。
シント・トロイデン
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2019年の8月にシント・トロイデンへの移籍が発表されました。
個人的な目標である『東京オリンピック』に向けて数字を残していきたいです。
引用:ゲキサカ
東京オリンピックが迫る中、数字面を重視した伊藤選手は移籍を決断します。
攻撃の起点となりボールを散らすプレーやチャンスメイクをするなど、ドリブル以外の面でも存在感を発揮していました。
本人も「東京五輪に出場するため」と明確に語っており、東京オリンピック出場を見据えた選択でした。
しかし、怪我やコンディション不良が重なり、在籍した約3年間で18試合の出場にとどり、オリンピック出場も叶いませんでした。
東京五輪の世代でも実力が一つ抜けていた存在であっただけに、シーズン通して安定したパフォーマンスを出せなかったことが悔やまれますね。
1.FCマクデブルク
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出場機会を求めて、当時はドイツの3部だった1.FCマクデブルクに移籍をします。
このクラブの監督はハンブルガーSV時代に指導を受けたクリスティアン・ティッツ氏であり、伊藤選手にとっては恩師である監督のもとでプレーすることを選択しました。
シーズン途中ながら16試合に出場し3ゴールを記録。チームの2部昇格に大きく貢献しました。
監督もそこを理解した上での起用だったと思いますし、信頼度が窺える起用法でした。
その後の2シーズンではチームの主力としてドイツの2部で活躍します。
2022〜2023シーズンでは33試合出場し5ゴールをマークし、キャリアハイの数字を残しました。
恩師とも言えるクリスティアン・ティッツ監督の元で輝きを取り戻した伊藤選手。
ティッツ監督は若手を積極的に起用するなど、育成面で定評のある監督であり、そのスタイルが伊藤選手の本来の実力を引き出すことにつながったのではないでしょうか。
2024年シーズンまで共に戦った伊藤選手が日本のクラブへ移籍することが決まった際、ティッツ監督が涙ながらに伊藤選手の移籍に対するコメントを残していた事が印象的でしたね。
「通常の監督と選手間の関係以上のもの」
引用:GOAL
伊藤選手がドイツに渡ってきた18歳の時からの関係性であり、長くコーチと選手の関係性でした。
欧州で出場した公式戦のほとんどをティッツ監督の下でプレーしています。
苦楽を共にしてきた間柄なだけに、伊藤選手の日本への復帰はティッツ監督にとっては寂しい出来事だったのではないでしょうか。
川崎フロンターレ
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2025年1月、川崎フロンターレへの加入が発表されました。
Jリーグ初挑戦となった伊藤選手でしたが、欧州仕込みの実力を存分に発揮します。
プレーを見ていても、ドリブルは言うまでもなくすごいですが、小柄ながら欧州仕様のフィジカルで自分より大きな相手と互角に渡り合っている印象があります。
このようにインタビューで語っており、フィジカル強化のトレーニングは積んでこられましたが、特に海外で体格の大きな選手と日常的にプレーしてきた経験が、日本でのプレーに活きていると語っていました。
川崎加入当初からチームの主力としてプレーします。
主に右サイドハーフでのプレーがメインとなりますが、海外では左サイドを主戦場として戦ってきました。
その点においては、当初戸惑いがあったようですね。
右だと身体の向きとか目線が真逆になって戸惑うこともあるんです。
引用:フロンターレ魂web
身体の向きが違うと自分がどちらに攻めているのかわからなくなる感覚は、普段と違うポジションでプレーするとありそうな感覚ですよね。
たまに左サイドバックをすることがあったのですが、左足でのキックに自信がなく、かなりやりづらさはありましたね、、、笑
慣れていない逆サイドでのプレーに苦戦するのは、サイドのポジションを経験した人なら誰もが共感できる悩みではないでしょうか!
しかし、一度やってみると流石の伊藤選手。シーズンを終えてみれば35試合に出場し、ゴール数も13を記録し二桁台に乗せました。
4試合連続ゴールをシーズンで2回達成し、9月度のJ1リーグ月間MVPを受賞するなど、Jリーグの舞台で海外で培った実力を存分に発揮しました。
その成績が認められ、2025シーズンのJ1リーグのベストイレブンにも選出されます。
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年齢的にもサッカー選手として最も良い状態を迎えていると思われるので、来シーズンはどんな活躍を見せてくれるのかJリーグファン全体が注目しています!
伊藤達哉選手のプレースタイルは?
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伊藤選手の一番の武器は相手選手を寄せ付けない圧倒的なドリブルの技術と、試合を決め切ることのできる「シュートスキル」ではないでしょうか。
それぞれご紹介していきます。
相手を翻弄するキレキレのドリブル
伊藤選手を語る上で「ドリブル」というトピックは欠かせないでしょう。
伊藤選手のドリブルは、単なるテクニックだけでなく、ボールを受ける前の「イメージ」と相手との「間合い」をすごく重視している感じがありますよね。
どんなに厳しくマークされていてもストレスを感じることなくプレーできる自信があります。
引用:サッカーキング
ボールを受ける前から「どう抜くか」というイメージが完成しているからこそ、相手と対峙した時に迷うことなくドリブルで交わす事ができているのではないでしょうか。
それがインタビューでも語っている通り、マークを受けてもストレスなくドリブルを仕掛けられるのだと思います。
また、伊藤選手はドリブルをする上で「ボールの置く位置」と「体のキレ」を重要視しています。
特に身長が他の選手よりも低い分、キレのあるドリブルを磨くため意識的にトレーニングを積んでいるそうです。
それを象徴するゴールが第27節の名古屋戦で見せた後半アディショナルタイムで決めたゴールですよね。
セットプレーの流れから得意の左サイドでボールを受けた伊藤選手は、ワンタッチで1人目をかわし、続く2人目はボディフェイントだけで抜き去ります。
その時点でゴール前の状況だったので、あとはボールを流し込んでゴールを決めました。
ドリブルで相手を抜けなかった時が何よりも悔しいと言うほど、伊藤選手にとってドリブルは誰よりも譲れない武器になっています。
類稀なるシュート技術と決定力
もう一つの伊藤選手のプレーで象徴的なのは、シュートスキルと圧倒的な決定力ですよね。
得意のドリブルから持ち込んでシュートを放ちゴールを決めるのは、伊藤選手の代名詞とも言えるプレースタイルですが、特にシュートの技術はJリーグの中でも圧倒的だと思います。
ACLエリート準決勝のアル・ナスル戦では、高く上に上がったボールを完璧にミートさせ、強烈なシュートをゴールの左上に突き刺しました。
相手が寄せてくる中で焦りがちな場面ですが、伊藤選手は落ち着いてリラックスしたフォームで右足を振り抜きます。
解説の水沼貴史さんも興奮を抑えきれず絶叫していましたよね!
伊藤選手のシュートの特徴として、相手を抜き切る前にシュートを放ち、ゴールキーパーの意表を突くゴールシーンが多いですよね。
そうすることでゴールキーパーの反応も遅れ、シュートに反応したタイミングではすでにボールはゴールに吸い込まれているのです。
- 最適なタイミングでシュートを放つ判断力
- ボールに正確にミートさせるインパクトの技術
シュートを打つ上で重要なスキルを伊藤選手は持ち合わせているからこそ、Jリーグにおいて得点を量産する事ができたのではないでしょうか。
まとめ
- 柏レイソルの下部組織で育ち、柏レイソルU-18では世界大会でMVPを獲得。
- 高校3年生の18歳の時にドイツの名門ハンブルガーSVへ入団。
- 20歳でブンデスリーガデビューを果たし、20試合に出場。
- 恩師であるティッツ監督のもとで輝きを取り戻し、キャリアハイの成績を記録。
- 小柄ながら欧州で磨いたフィジカルとキレのあるドリブルが最大の武器。
- 最適なタイミングで放つ抜群のシュートセンスと高い決定力。
- 2025年にドイツから川崎フロンターレに移籍しJリーグデビュー、35試合13ゴールの活躍。
- 4試合連続ゴールを2回達成し、J1月間MVP受賞、年間ベストイレブンに選出。
過去には日本代表にも選出された実力者である伊藤選手。
Jリーグ初年度となった2025シーズンでの選出はありませんでしたが、何度も「日本代表選出」の待望論が上がってましたよね。
それだけの注目を集めた伊藤選手。
さらなる活躍で日本代表のユニフォームを再び着る日が訪れることを、多くのサッカーファンが期待しています。