J1の浦和レッズで活躍する渡邊凌磨選手。
アイデア・判断力・運動量が揃った万能型アタッカーと呼ぶに相応しい選手です。
浦和レッズでは負傷による離脱もありながらも主力としてプレーしており、2025年の4月にはご結婚も発表されました。
公私共に順風満帆な渡邊選手の経歴からプレースタイル、そしてご結婚された妻に関する情報まで、分かりやすくまとめてご紹介します。
目次
渡邊凌磨選手は結婚している!
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渡邊選手は2025年の4月9日にご結婚を発表されました。
お相手はモデルの前田希美さんで、テレビ東京の人気番組である「おはスタ」のおはガールとしても活躍されていましたよね。
| 歴代のおはガール | |||
| 本田翼 | 平井理央 | 蒼井優 | 井上咲楽 |
過去のおはガールを見ても、今ではテレビで活躍しているタレントが多く、若手スターの登竜門的なポジションでもあります。
そんな渡邊選手と希美さんは知人の紹介で知り合い、ご結婚まで至りました。
渡邊選手
いつも笑顔を絶やさず人想いで、優しさ溢れるそんな彼女と一生を共にしたいと思いました。
希美さん
心配性で考えすぎてしまう私を、自然と前向きな気持ちにさせてくれる彼とならこの先何があっても互いに支え合い、どんな困難も乗り越えていけると確信し、結婚を決意いたしました。
それぞれが公式Instagramで結婚を報告していましたが、特に希美さんの投稿は気持ちのこもった温かい文章で、読むだけで心がグッと動かされますよね。
しかし、交際から結婚に至るまでの道のりには、一筋縄ではいかない「ある出来事」もあったようです。
その出来事とは何だったのか── ここでは、お二人の出会いから交際、そして結婚に至るまでの流れをわかりやすくまとめてご紹介します。
渡邊凌磨選手と前田希美さんの馴れ初めは?
お二人は共通の知り合いを通じて知り合い、何度かの食事をデートを経て交際に発展したようですね。
どのような会で知り合ったのかは明らかになっていませんが、「いつもだったらそういう会には行かないんですけども」と希美さんが自身のYouTubeチャンネルで発言しているので、もしかすると合コンで知り合った可能性はありますね。
しかし、当時希美さんは恋愛に慎重になっていたようで、一度交際の申し入れを断ったと語っておりました。
渡邊選手としては「こんなに何度も食事に行っているのになんでなのか?」という思いもあったと思いますが、それでも諦めずにアプローチを続けました。
その過程で希美さんも次第に渡邊選手の魅力に気づき始め、好意が一気に渡邊選手側へ傾き、そのまま"交際というゴール"へとつながったようです。
かっこいいに意味がある人だなと思った
引用:モデルプレス
希美さんは渡邊選手の対して
- めちゃくちゃ優しい
- 相手のことを考えて行動できる
- 仕事(サッカー)に対してストイック
という部分を惹かれたポイントとして語っていました。
渡邊選手はルックスの良さという部分で、女性ファンが多い選手としても有名ですよね。
ただ希美さんの言う「かっこいい」というのは内面の部分であり、心優しい人柄や思いやり、サッカー選手としての妥協しない姿勢に、人としての魅力を感じられたのではないかと思います。
外見の良さに注目が集まりですが、希美さんが惹かれたのは明らかにそれ以上の内面的な良さだったのではないでしょうか。
交際の匂わせ投稿があった!?
結婚前にお二人が交際していたことを知らなかった人も多いのではないでしょうか。
希美さんYouTubeチャンネルでは2025年の1月1日に「お付き合いしている人がいる」と、報告の動画が公開されているのですが、その相手が渡邊選手ということは公表されていませんでした。
しかし、2024年の11月ごろにInstagramの投稿にゴルフの練習をする動画をアップされており、渡邊選手もゴルフを趣味とされています。
「まだまだはじめたて」とも投稿していることから、この頃から交際をスタートされた可能性が高いですよね。
2025年の4月に結婚を発表されていますが、交際期間も短かったと言われているので、交際1年未満でご結婚をされた可能性もあります。
また、ゴルフという共通の趣味があることを考えると、今後お二人でコースを回る様子がSNSに投稿される日が来るのでないかと期待しています!
渡邊凌磨選手の経歴は?
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| 小学校 | 市ノ川SSS |
| 中学校 | クラブレジェンド熊谷 |
| 高校 | 前橋育英高校 |
| 大学 | 早稲田大学 |
| 2017年〜2018年 | FCインゴルシュタット04 |
| 2018年〜2019年 | アルビレックス新潟 |
| 2020年 | モンテディオ山形 |
| 2021年〜2023年 | FC東京 |
| 2024年〜 | 浦和レッズ |
渡邊選手は埼玉県東松山市出身で、地元の市ノ川SSSでサッカーを始めました。
中学校はクラブレジェンド熊谷の第1期生として入団し、中学2年生の時に本気でプロを目指す決断をします。
そこでのコーチとの出会いが今後のサッカー人生に大きな影響を与えたと語っており、その点についても詳しくご紹介しています。
前橋育英高校では選手権で全国準優勝し、高校サッカー選抜に選ばれるなど、着実に実力を伸ばしていきます。
その後、早稲田大学へ進学するものの、進学後すぐに中退しドイツのクラブへ移籍します。
3年間プレーしたのちにJリーグに戻ってプレーをすることになりますが、
- なぜ大学を中退してまで海外へ渡ったのか?
- その決断の背景にはどんな出来事があったのか
このあたりの裏側もわかりやすくご紹介しています。
小学校
幼い頃から父親とボールを蹴っていたことがきっかけとなり、小学校は地元クラブの市ノ川SSSに入団しサッカーを本格的に始めました。
チームではまさに中心的な存在で、周りの選手からも自然とボールが集まり、逆に自分からもボールを呼び込んでいたようですよ。
父親との練習で実力に対しても自信がつき、積極的に自分からボールを引き出していたと、インタビューで語っていました!
休み日はいつも父親と練習していたそうで、その小さな努力の積み重ねが、今の渡邊選手の技術のベースになっていることは間違いないと思います。
ちなみに、父親との練習はかなりスパルタだったようで、パスが少しでもズレると受け止めてもらえなかったそうです。
そのため、毎回ビクビクしながら練習していたと語っていました。
私自身、小学生の頃は無我夢中でボールを追いかけ、好きなようにプレーしていました。
幼い頃から厳しい環境で鍛えられてきた渡邊選手とは、まったく違う道を歩んでいたのだと改めて実感します。
やはりプロになる選手は、幼少期から相当ハードな練習を積んできたのだと、この記事を書いていて改めて実感しましたね。
中学校
父親がクラブの監督と親交があった関係で、熊谷レジェンドの第1期生として入団しました。
このクラブへの入団は、渡邊選手がサッカー選手としてだけでなく、1人の人間としても大きく成長する転機になったのです。
渡邊選手は中学校に上がるまで、プロサッカー選手になることに対して深く考えていなかったため、いくつかのチームのセレクションを受けつつも、最終的には父親との関係があった熊谷レジェンドに入団しました。
そこではプロになるためにはどういう練習をするのか、そのために必要なことを徹底的に叩き込まれたと語っていました。
中学生の頃って、サッカー以外の誘惑や友達と遊ぶことがより楽しくなってくる年頃ですよね。
そんな中学生に、ここまで徹底して“プロになるために必要なこと”を教えるのは、決して簡単なことではありません。
渡邊選手も「プロになりたい」という思いを心の奥では持っていたものの、それを強く気持ちや姿勢に出すほどの覚悟はなかったようです。
中学校2年生の時から「本気でプロサッカー選手を目指す」決心をしますが、その頃あたりから高校の進路についても考える時期になりますよね。
当時のコーチから「プロになるなら前橋育英高校の環境に飛び込んだ方がいい」との助言を受け、前橋育英高校への進学を目指します。
そのコーチは前橋育英高校のOBでもあったため、「プロになるための必要なことが揃っている」と肌で理解していたからこそ、渡邊選手に前橋育英を勧めたのかもしれませんね。
そこから勉強にも力をいれ、生活態度も改善し、見事に前橋育英高校のサッカー推薦を勝ち取り、進学を実現させました。
今も自身ののサッカーの土台となっていると語るほど、中学校時代の経験は重要な時間だったようです。
高校
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高校は前橋育英高校に進学しました。
新入部員の練習会に参加した渡邊選手は、全国の実力者が集まる高校なだけに周りの実力に圧倒されたと語っていました。
『俺はここじゃやっていけない』って思うぐらいの経験をしました。スピードが凄いし、みんなうまくて…
引用:GOAL
当時の自身の実力については全く歯が立たず、同学年のメンバーの中でも中の下くらいのカテゴリーからスタートしたと語っていました。
圧倒されていたスピード度にも徐々に慣れていったと言い、「日本屈指の名門校」のサッカーにも徐々に順応していけるようになりました。
実力的なポテンシャルを考えると、サッカーのスピードになれるのは時間の問題だったかもしれませんね!
その後、順調にチーム内での序列を上げていった渡邊選手は、U-16の日本代表に初選出されました。
渡邊選手自身は代表の選出に信じられなかったと語っていました。
それもそのはずで、中学までは無名で高校でも入った当初は周りのレベルに圧倒されていた選手が、わずか1年で日本代表に選ばれることになるので、驚くのも当然ですよね。
短い期間で渡邊選手のポテンシャルが一気に開花した証拠でもありますし、そこには渡邊選手の努力があったにしても、前橋育英の練習環境の良さやレベルの高さが、その成長を引き出したのかもしれませんね。
その後はU-17、U-18の日本代表にも継続的に選出され世代別の日本代表の常連として活躍しました。
代表でも主力としてU-17のワールドカップにも出場し、日本代表のベスト16進出に貢献しています。
それだけ、当時の前橋育英が全国的にもトップクラスのレベルだったという証拠だと思います!
高校3年生になるとエースナンバーである背番号10を背負い、副キャプテンとしてチームを牽引しました。
夏のインターハイでは全国ベスト4、冬の選手権では全国準優勝と、日本一には届かなかったものの素晴らしい成績を残します。
中でも印象深いのは、選手権決勝の星稜戦ではないでしょうか。
私もテレビ中継で試合を見ていましたが、同点で迎えた後半10分、左サイドからボールを持ち運んだ渡邊選手がゴール前で相手を切り返しでかわしました。
そのままゴール右のサイドネットにシュートを突き刺し、見事な逆転ゴールを決めたのです。
ボールの運び方も、シュートまでの動作も、まさに渡邊選手らしさが全開でしたよね!
逆転に成功したものの、その後再び逆転を許し、前橋育英は準優勝という結果に終わりました。
渡邊選手の世代やその後の後輩からは、多くのプロ選手が誕生しています。
Jリーグの試合で前橋育英の選手と対戦すると「いつも刺激をもらえる」と渡邊選手も語っていました。
| 選手権準優勝時のプロ入りした前橋育英のメンバー | |||
| 吉田舜 | 岡村大八 | 鈴木徳真 | 坂元達裕 |
| 小泉佳穂 | 金子拓郎 | 吉永大志 | 河西真 |
「弱い代」と言われて悔しい思いもしたそうですが、結果としてかなり多くのJリーガーを輩出した「強い世代」であったと言えるのではないでしょうか!
大学時代
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大学は早稲田大学に進学します。
プロになるために大学も選んだというほど、プロに対する意識も強く持っており、大学での活躍がかなり期待されていました。
入学して間もなく、渡邊選手は世界規模のスカウトプロジェクト「NIKE MOST WANTED」に参加し、見事合格を果たしました。
サッカー選手になるために必要なものが全て揃っている、いわば「夢を掴むための最高の育成機関」と言えるのではないでしょうか!
合格者には「ナイキアカデミー」への参加権が与えられますが、渡邊選手はこれを辞退します。
というのも、高校サッカー選抜でヨーロッパ遠征に参加した際、現地スカウトの目に留まりオファーを受けており、すでに海外クラブ加入に向けて話が進んでいたのです。
ただ、オファーを受けた時は、すでに大学進学が決まっている状況でした。
タイミング的に一度は大学に進学したものの、代理人や大学とも話し合ったうえで、入学して間もない大学を中退し最終的に海外挑戦を決断したのです。
「高卒でプロ入り間違いなし」と言われていた渡邊選手でしたが、シーズンの途中で調子を落としたことが影響し高卒でのプロ入りは叶いませんでした。
「すべてはプロになるため」という強い信念があったからこそ、人一倍プロに対する気持ちが強く、ドイツへ渡りプロサッカー選手になることに対しても一切の迷いはなかったのだと思います。
入学直後の大学中退は周囲には無茶苦茶なことに見えたかもしれませんが、渡邊選手にとっては覚悟のある挑戦だったのかもしれませんね!
2015年〜2018年:FCインゴルシュタット04
当時はブンデスリーガの1部だったインゴルシュタットに加入し、セカンドチームからのスタートとなりました。
当時の監督は渡邊選手に対して、
素晴らしいテクニックがあり、ハードワークや高いインテリジェンスも備えている。
引用:フットボールチャンネル
と、高い評価をしており「このチームにとって助けになる補強」とのコメントを残していました。
セカンドチームの所属リーグはドイツの4部と、かなり下のカテゴリーになりますが、加入当初は言葉の壁やフィジカル部分で苦戦したようですね。
しかし徐々に環境にも慣れていき渡邊選手の持ち味も出せるようになっていきます。
結果的にはセカンドチームでは3年間で72試合12ゴールの成績を残しました。
しかし、渡邊選手は持ち味である適応力で海外のサッカースタイルやフィジカルコンタクトに素早く順応したことで、年々数字として結果を積み重ねていけたのではないでしょうか!
セカンドチームでの成績が評価され、2017年シーズンからはトップチームでの活動となりましたが、トップチームでの試合に出場することなく退団することになります。
渡邊選手として悔しい気持ちもあったかと思いますが、「自分が上のレベルに行くためには必要なことだった」と語るように、海外での経験は、誰もが得られるものではありませんよね。
サッカーの技術面はもちろん、それ以外の人間としても大きく成長できた海外挑戦は、意味のあるものだったのではないでしょうか。
2018年〜2019年:アルビレックス新潟
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| 新潟での成績 | ||||
| シーズン | 出場試合数 | 出場時間 | ゴール数 | アシスト数 |
| 2018 | 5 | 202分 | 0 | 0 |
| 2019 | 23 | 1017分 | 4 | 1 |
2018年の7月にアルビレックス新潟への移籍が発表されました。
「また一から日本でやり直す」との決意のもと、"逆輸入"という形でJリーグでプレーすることを決めます。
新潟での練習については、強度やスピードに関して強くはなかったと語っており、ドイツでの経験がJリーグの環境にもすぐに対応できる基礎が作られていたのではないでしょうか。
そして同シーズンの第25節、東京ヴェルディ戦でJリーグデビューを果たしました。
そこからどんどん試合に出場していく...と思いきや、途中加入ということもあり、このシーズンは5試合に出場に止まります。
チームに迷惑をかけてばかりだった
引用:ゲキサカ
このように加入した2018シーズンについて語っており、期待されてドイツから加入しましたが、思うような結果を残すことができずもどかしいシーズンとなりました。
2018シーズンの結果を払拭するべく挑んだ2019シーズン。
第7節のFC町田ゼルビア戦でJリーグ初ゴールを記録し、シーズン通して23試合に出場、4ゴールを記録しました。
ただ、スタメンは10試合のみで途中出場がメインで、主力選手として定着するまでの結果は残すことはできませんでした。
「チームに迷惑をかけてばかり」というコメントからも、渡邊選手の真面目な性格が伝わってきますし、この悔しい経験が、後の活躍につながっているのではないでしょうか。
2020年:モンテディオ山形
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| 山形での成績 | |||
| 出場試合数 | 出場時間 | ゴール数 | アシスト数 |
| 39 | 2722分 | 7 | 5 |
出場機会を求めてモンテディオ山形へ移籍を決断します。
山形ではシーズン序盤から主力としてチームに貢献します。
39試合に出場し33試合でスタメン出場、7ゴールを記録し、キャリアハイの数字を記録します。
私は山形時代の渡邊選手を、当時からかなり注目していました。
「自分の贔屓にしているチームに加入したら、どんなポジションでもフィットしそうだなぁ」と考えてしまうほど、渡邊選手は魅力的な選手でした。
山形でのプレーは、なめらかなボールタッチやシュートセンスなど、今の渡邊選手のスタイルが完全開花したプレーが表れていましたよね。
右サイドハーフでの出場が多かったものの、流動的にポジションを変えてプレーし、流れの中で中央に入る時には得点に絡むプレーを見せ、攻撃の中心となっていました。
チームとしては下位に沈みますが、その中でも渡邊選手はチームを牽引し、個人としては次のステップへ進む準備が整ったシーズンだったのではないでしょうか。
2021年〜2023年:FC東京
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| FC東京での成績 | ||||
| シーズン | 出場試合数 | 出場時間 | ゴール数 | アシスト数 |
| 2021 | 17 | 802分 | 2 | 1 |
| 2022 | 30 | 1948分 | 6 | 3 |
| 2023 | 29 | 2248分 | 4 | 3 |
2021年1月、FC東京への移籍が発表されました。
チームに合流時から他の選手とのコミュニケーションは順調だったようですね。
プレー面においても、持ち味である豊富な運動量とハードワークは当時の長谷川健太監督にしっかりアピールできていたようです。
シーズンの途中で負傷し、約4ヶ月ほどチームを離脱することはありましたが、17試合で2ゴール、スタメン出場は8試合と、離脱していた期間を考えると悪くない数字なのではないでしょうか。
J1初挑戦ながらでしっかりチームに貢献できており、プレーを見ていても昨シーズンと比べると迷いがなくプレーしている印象がありました。
負傷離脱がなければどこまで数字を伸ばしていたんだろうと、気になる部分ですよね。
このシーズンでは手応えを掴んだと思いますし、翌シーズンの飛躍にもつながったのだと思います。
2022シーズンも引き続きFC東京でプレーし、30試合に出場、23試合でスタメン出場するなど、チームの主力としてプレーしました。
完全にJ1リーグの舞台で覚醒した渡邊選手ですが、第25節のセレッソ大阪戦ではハットトリックも記録します。
足を大振りしてゴールの枠を外したり、空振りしたりすることも多いシーンでしたが、渡邊選手はリラックスした状態でミートさせることだけを意識しているようでしたね!
このシーズンは6ゴールを記録し、J1リーグではキャリアハイの数字となりました。
ゴール決定率も16.7%と、非常に高い数字を残しています。
2023シーズンもFC東京でプレーしましたが、昨シーズン以上に中心選手としてチームの攻撃を牽引していた印象がありますよね。
出場試合数は29試合と昨シーズンよりも少ないものの、スタメン出場とプレー時間は多くなりました。
よりチーム内での信頼が高まり、より重要な選手として起用されるようになったという証拠でもありますね。
また、このシーズンは8節にマークしたゴールがJリーグの年間最優秀ゴール賞に輝きました。
中村帆高選手からのクロスボールを胸でトラップし、体勢を崩しながらも放ったシュートがゴールマウスの中にボールが吸い込まれていきました。
実況も熱狂するほどのまさにスーパーゴールでした。
自身も「びっくりするゴールだった」と語るように、かなり難易度の高いシュートでした!
2023シーズンの活躍で渡邊選手はJリーグを代表する選手へと成長しました。
Jリーグ好きなら知らない人はいないほど、その存在感は際立っていましたよね。
2024年〜:浦和レッズ
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| 浦和での成績 | ||||
| シーズン | 出場試合数 | 出場時間 | ゴール数 | アシスト数 |
| 2024 | 38 | 3385分 | 6 | 5 |
| 2025 | 29 | 1986分 | 7 | 3 |
幼少期から憧れていたという、浦和レッズへの移籍が発表されました。
渡邊選手の幼少期、浦和はファン・サポーターとして応援していたクラブでした。
父親や家族と一緒に浦和を応援し、埼玉スタジアムにもよく足を運んでいたそうです。
「俺、浦和レッズでプレーすることになったよ」
引用:スポーツナビ
こう父親に浦和へ移籍することを報告した際は、涙をみせて喜んでくれたそうです。
自分の息子が自分の応援してきたクラブでプレーする。父親としてこれ以上の喜びはないですよね。
それだけ渡邊選手にとっても、渡邊選手の家族にとっても、この移籍は特別な意味を持つものだったのではないかと思います。
当初はサイドバックでの出場が多かった渡邊選手ですが、徐々にポジションを上げていき、やがて浦和の攻撃に欠かせない存在になりました。
サイドバックでの起用には驚きもあったそうですが、「試合に出られるなら結果オーライ」と前向きに捉えていたようです。
2024シーズンは全38試合にスタメン出場し、チーム内で唯一全38試合スタメン出場した選手となりました。
間違いなく加入当初からチームの中心選手となっている渡邊選手。
サイドバックでは上がっていってクロスを供給するというよりは、そこから攻撃の起点となり、攻撃を組み立てている印象がありましたよね。
それは数字にも表れており、シーズン通してサイドバックでの出場が多かったものの6ゴール5アシストと、攻撃面で良い数字を残しています。
複数のポジションをこなせるポリバレント性もあるので、どのポジションでもすぐに順応できるんだと思います!
2025年はクラブW杯に出場した浦和レッズですが、渡邊選手はインテル戦で先制点となるゴールを決め、世界にインパクトを残しました。
力の抜けた柔らかいシュートから生まれた素晴らしいゴールは、いかにも渡邊選手らしいゴールでしたよね。
Jリーグでもシーズン途中で負傷離脱はあったものの、キャリアハイのゴールを記録しており、今の浦和には欠かせない選手として攻撃を牽引しています。
渡邊凌磨選手のプレースタイルは?
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Jリーガーの中でも屈指のユーティリティ性の高い選手で、前線のポジションならどこでもこなすことができます。
また、高い技術と豊富なスタミナで、チームの心臓部を担う存在ですよね。
そんな渡邊選手のプレーの特長やスタイルを詳細にまとめました。
高いユーティリティ性
攻撃的なポジションであればどこでもこなすことができ、トップ下、サイドハーフ、ウィングなど、様々ポジションでのプレーが可能ですよね。
浦和ではトップ下での出場が多くなっていますが、時にはボランチで出場したり、加入当初はサイドバックでプレーをしていました。
ただポジションの穴を埋めるだけの存在ではなく、どこのポジションでも主力として通用するだけのクオリティを出せる点こそが、渡邊選手の本当の強みだと言えます。
非常に戦術理解の能力が高く、「このポジションはこういうプレーをしないいけない」ということを理解できているからこそ、どのポジションでもプレーすることができるのではないでしょうか。
自身もプレーの特徴を「便利屋」というほど、チームが困った時に頼れる存在となっています。
「そんな時の渡邊凌磨」というような言葉がぴったりの選手です。
リーグトップクラスの運動量と献身性
90分を通して走り続けられるスタミナを持っており、走行距離では常にリーグの中でも上位に名前を連ねます。
2025シーズンの第20節の町田戦では13.238kmという驚異的な走行距離を記録し、スポーツ紙にも取り上げられるほどの話題となりました。
しかも驚くべきことに、13km以上を走った町田戦からわずか中3日の試合で、渡邊選手はスタメン出場を果たし、ゴールまで記録しました。
短い休養期間でもパフォーマンスを落とさず、むしろ得点で応える部分に渡邊選手の価値を物語っていますね。
また、守備の献身性というところも渡邊選手の特長であると言えますね。
前線からのプレッシングでボールを奪い、高い技術の正確なパスでそのままチャンスメイクをすることができます。
このプレーができるのは、渡邊選手ならではの強みですよね。
ただ闇雲に走っているわけではなく、守備のスイッチとなる走りや、どこにでも顔を出す運動量が組み合わさることで、1試合を通して驚異的な走行距離を記録しているのではないでしょうか。
まとめ
- 前橋育英高校で副キャプテンとして全国準優勝、決勝で逆転弾を記録。
- U-17日本代表としてワールドカップを経験、ベスト16進出に貢献。
- ドイツ4部リーグで3年間プレーし、海外経験を積む。
- GK以外ならどこでもこなせる高いユーティリティ性が最大の武器。
- リーグトップクラスの運動量と献身性を持ち、1試合で13km以上走破。
- 高い技術と正確なパスでチャンスを創出できる。
- 本人も「便利屋」と語るほど、チームが困った時に頼れる存在。
- 憧れの浦和レッズで主力として活躍、クラブW杯でインテル相手に先制弾。
幼少期から憧れ続けた浦和レッズで輝きを放つ渡邊選手。
その圧倒的な運動量と献身性で、さらなる高みを目指す姿に今後も注目が集まります。